(第40本目)終末の過ごし方 AVG MSX 終末の過ごし方forMSX製作実行委員会(著作:アボガドパワーズ) 2001年 |
〜何の続編?〜 |
さて、今回は“栄光無き続編”というよりは、“栄光無き移植”となったゲームをご案内します。 ご案内する本作は、Windows用に1996年に発売された“終末の過ごし方”の移植作となる MSX版“終末の過ごし方”であります。 何故栄光が無かったかというと、MSX版の本作、リリースされた年が2001年であります。 それだけでは意味が分からないと思いますので、MSXパソコンの状況についてご案内すると、 MSXのハードは1995年に生産が終了しており、加えて1996年には最後の商業専門誌も廃刊となって、ソフトの流通もとっくに壊滅している状態であります。 ハードの生産が終了した6年後にゲームを販売すること。 要するに、1995年に生産が終了した3DOで、2001年にソフトが販売されるほどの快挙です。 (3DOの最後のソフトは1996年に販売されています…本体生産終了後1年しか持たなかった(哀)) まぁ、MSXはゲーム専用機ではないため、色々カスタマイズして個人でゲームを製作することも可能であり、ソフトが市販されなくとも、創作活動を行なう分には、あまり影響が無かったからかもしれませんが…(後述) |
〜ストーリー〜 |
――次の週末に人類は滅亡だ。
国家非常事態宣言が発令されてから7週間が過ぎた。 「日本」を保存するために東京・大阪・名古屋にそれぞれ臨時政府が立てられたが、 どうせどれもムダだろうというのが大方の予想だ。 世界の主な政府、研究機関、学者たちがここまで意見を一致させた事はない。 それでもまだ、未来に希望を託す人は少なくない。 彼らは万が一の希望の為に日々、忙しく働いている。 対照的に、この事実に収まりがつかず自暴自棄に終末を迎える人も…もちろん少なくはない。 人が多くの場面で驚くほど残酷になれる事は、歴史も知っている。 この1ヶ月で様々な事が世界に起きた。 日本も例外じゃぁない。 でも… 結局、あと一週間で何が出来る? 何もできない。 逃げようったって逃げる場所が無いのだ。 世界規模の災害の前では、シェルターで生き延びる事すら無意味。 それならいっそ、苦しまずに死ねた方が幸せだ。 だから、混乱の1ヶ月が過ぎたあとは、何処も比較的静かになった。 あまりにどうしようもない状況なので逆に、各国の政府機関も軍隊も、ただ崩壊するしかなかっ たのだ。 いくつかの国の宗教・民族紛争は激化したけれど、どうやら終末前に核で人類滅亡、 という事態 にはならない様子。 最初は各地で暴動が頻発し、世界はかなり混乱したけれど…。 結局、人々の生活は徐々に元に戻った。 ただ静かに、世界は死を迎える。 |
〜ちょこっとゲームリプレイ〜 |
MSX版の本作品、起動時にCTRLを押さないで起動すると、メモリー不足のエラーが出ます(←懐かしい(笑)) ゲーム開始時、きちんと著作メーカーさんからOKが出ている証に、アボガドパワーズさんのロゴが出ます。 ……世界はあと一週間で終わりを迎える。誰も助かる見込みは無い。 クラスの出席は12、3人くらい、それでも普段どおりの授業に出る主人公、耕野知裕。高校生。 そして同じクラスの普段どおりの香織、授業と関係なく最速タイムを目指す陸上部の千絵子、保健教諭の留希。 一週間後、あなたはどんな風に、その時を迎えるのか |
〜思い出〜 |
さて、このMSX版“終末の過ごし方”の宣伝は、一般的にWindowsパソコンを使用する必要があるインターネットを利用して行なわれました。 グラフィックも綺麗で、BGMもクリアーで、読み込みも早いWindows版もあるというのに、何故、あえて低下したスペックのPC、MSXで製作する必要があったのでしょう? そして、Windows版はプレミアソフトでもないのに(新品でもMSX版より安く販売されていました)何故、あえてMSX版を皆は購入したのでしょうか? コレクター魂? プレミア狙いの投資? そういった方もいらっしゃるかもしれません。 でも大多数のユーザーの、あえてMSX版を購入した理由は、MSXへの“愛”だと思います。(笑) そして、MSXというハードで敢えてリリースした、製作者への“エール”ではないでしょうか? ソフトウェアを製作するのは大変です。たとえ開発ではMSXよりも処理速度が上がったWindows上で動作するMSXエミュレーターを利用したとしても、異なるプログラム言語を移植することは大変だったのではないかと推察されます。 同人レベルでの正式な市販ソフトの移植は、多くの障害があったと思います。 ○“終末の過ごし方”というソフトが好きでなければ、移植をするモチベーションが続かないし… ○実機で動作させるためには、8ビット機MSXへ移植可能なソフトでなければいけない ○そのときの時代の流行が、低スペックで実現が可能なVN(ビジュアルノベル≒小説系ゲーム)であったこと ○(もしかしたらツテがあるのかもしれませんが)正規メーカーさんに交渉する勇気 ○メーカーさんを説得させるだけのプレゼンテーションを行なう能力 ○グラフィックをMSX用に修正する忍耐 ○シナリオを一字ずつMSX用に移行する根気 ○プログラムをMSX用に再構築する努力 そういった努力を認め、殆ど利益が無いと思われるライセンシーで移植を認めるソフトメーカーさんの太っ腹な対応がなければ、MSXへの移植は望めなかったことだと思います。 MSXユーザーの会をハタから見ると、MSXと縁の無い方は、 (「なんでMSXユーザーは、それほどまで未だにMSXにこだわっているんだろう?」) なんて思われるかもしれません。 MSXはプログラム作成の敷居が低く、現在第一線で活躍している多くのPC使いの初心機となっています。 MSXを卒業したユーザーであれば、高性能のパソコンに移行したとしても、ゼロの知識から慣れ親しんだ MSXへの思い入れは、何らかの形であるかと思います。 そしておそらく、ゲームに限らず、パソコンで表現する、文章、音楽、グラフィック、ゲーム製作など、想像を創造への形に変える事ができた最初の道具、MSXへの思いは死ぬまで消えないかもしれません(笑) 今の自分があるのはMSXと接したから。 実機でプレイしていて、そんな過去の経過をふと思い出させる作品でありました(苦笑) さて、脱線話ですが、イベント販売で400本限定販売なのに、 「おみやげにしたいので、2つ購入しても良いですか?」 との無礼な質問に、 「ええ、構いませんよ(にっこり)」 と対応してくれた、MSX電遊ランドの売り子さん、どうもありがとうございました(ペコリ) 売り子の方のお腹も太っ腹でした(笑)感謝! |
04/01/10 |
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